ジャカルタ弁その1【dong と deh】の言語学

2019年7月15日

ジャカルタ弁その1【dong と deh】の言語学

■■■■■■dong△deh■■■■■■

インドネシアに長く住んでいても、「dongとdehの使い方は、イマイチだよね。」とか「今まで覚えてきたフレーズの範囲だと、dongとdehは使えるけど…」とか「へェ、そんなモン身につけて何かいいものあんの?」とか様々な授業でよく言われています。これについて様々な文献を研究して、言語学が分からない人にでも分かるような言葉でプリントに纏めたことがあります。

----------------

dong『ドン(グ)』とdeh『でーh』

----------------
dongは、「聞き手に強引に話し手の意思を通そうとする情緒・感情を表すための印(マーカ)」です。
dehは、「話し手のアキラメの念・感情を表すためのマーカ」です。

会話例①:

   A:Yah, ayah. Belikan itu,dong.

翻訳値 とうちゃんお父ちゃん、あれ買ってよ。

   B:Aduh, jangan menangis begitu,dong.

翻訳値 あ~、そんなに泣かないでよ。

   A:Pokoknya, aku mau itu,yah.

翻訳値 (トニカク)あれほしいよ。

   B:Iya,ya,deh. Jangan menangis lagi,dong.

翻訳値 分かったよ。分かった!。もう泣かないで。

kosakata語彙

Ayah お父さん
Yah a-yahのaを落とす。インドネシア語において、呼びかけは、後ろの音節から、呼ぶ。例えば、ビー、アルビー など
belikan 買ってあげる。買ってくれる。上記は「命令形」なので、me-をつけない。
Aduh こちらを参照してください
jangan ~しないでください
menangis 泣く
begitu そんなに
pokoknya 原理的に。もうこれ以上譲らない。とにかく。
aku
mau ほしい
itu それ
iya 賛成の表意「はい」「分かった」
lagi 既に、もう~しない「jangan ~lagi」

解説:

【】dongは、子供が聞き手に、強く何かについて言いたい時に使われています。キーワードは

 ★強引に

 ★意思を通そうとする

【】大人の場合、様々な社会の建前が存在するので、「強引」に意思を通せる相手は、話し手と親しくないと出来ないことになっている。話し手との関係・絆が強く成れば成る程、dongは、言えるようになります。特にジャカルタやバンドンの大都会では、dongは、「可愛く・親しく」聞こえます。厳しいことを言う時に、使われることもありますが、dongをいう時に、話し手は相手のことを自分と対等の存在として扱います。

【】これは、伝統文化がまだ根強い地方に行けば、dongを使いすぎると、幼稚っぽく聞こえます。地方において、人間関係は「親しみ」ではなく「礼儀」の問題です。

【◎】一方、上記の会話において、『deh』は、dongの「攻撃」に対して、諦めるの念を表します。少しでも、諦めるの念が入ったら、自然に deh が出ます。

【※】dong と dehをマスター出来れば、次のような会話も出来るでしょう。

会話例②:

A:Ini, berapa,Pak?

  これはいくらですか?

B:Itu lima ribu.

  それは、五千です。

A:dua ribu,dong,Pak.

  2千に負けてよ。

B:empat ribu, bagaimana?

  4千どうですか?

A:tiga ribu,deh.

  3千で負けてよ(もう値切るのを諦めるから、これ以上は、違う店に行くよ)

B:Ah, dasar! iya,deh.

  全くですよ。お客さん。分かりました。その値段でいいですよ。

解説:

■最初は、可愛く・親しく売る側に、接近するのがコツ。あなたが可愛ければかわいいほど、この術の必殺度が上がります。笑。

■値切る時に、値段の半分ぐらいを値切ることです。異国での開放感を是非味わって下さい。日本では、中々出来ないのです。キーポイントは強気です。まぁ、「恋の取引みたいに」

■最後に、終止符として「deh」を使います。

最後にオマケです。

例文:

Makan di sini saja,deh!

 ここで食事しようよ!。(もう腹ペコだから、コダワルことを諦めようよ)

■■■■■FIN■■■■■

メッセージ:

インドネシア語は、簡単。だと言われています。確かに入門はそうかもしれません。しかし、インドネシアには、様々な価値観が共存しているので、それに対応する様々な表現が存在します。文法の土台がアヤフヤですと、表現の技術が発展していません。しかし、自然な文法を忠実に記述している教科書があまり無いので、教科書を通じての独学には、今の所限界があるのです。そこで、

1.言葉に対する様々な見方を身につけ、直接、インドネシア人と接触。「恋」が一番だといわれていますが、どんな関係でもいいので、”pokoknya”トニカク「材料」を集めるのです。

コレ↑が出来ない人は、

  2a.いい先生に師事すること。

  2b. 言語学を始めること。

を勧めます。

Posted by アルビー