中上級 【コトワザ】

2019年7月15日

中上級 【コトワザ】

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  1. Sudah jatuh  ditimpa    tangga.

      もう 落ちる 下敷きになる    梯子

    【訳】:落ちているのに、また、橋子が落ちて来た。

    【意味】:泣き面に蜂?でしたっけ?Kombuさん?

    今は、既に、大変な状況にも関わらず、次々と災難が襲い掛かって来る。

    【使い方】

    Kemarin dompetnya hilang. Sekarang diputus pacar. Kasihan sekali. Sudah jatuh ditimpa tangga.

    昨日、財布を失くして、先ほど、彼に振られて、超可哀そう。sudah jatuh ditimpa tangga だよな。

    【解説】

    この間、dari kampus ke kamus (キャンパスから辞書へ)「kampuskamusをかけた旨い表現」という本を読みました。インドネシア大学文学部インドネシア科が、出した本ですが、学内限定だそうですが、その中に、面白い論文がありました。難しいテーマですが、struktur asidentis parataktisという難しい題。たまたまこの論文を書いていらっしゃる先生は、外大にいらっしゃるので、その中身に関して、議論をしました。

     昔のインドネシア語には、どうやら、西洋のコトバのように、接続詞があまり必要とされていないそうです。接続詞が「入らなくてもいいような」文は、asidentis parataktisといいます。

     上記の文は、実は接続詞が入っていないのですが、強いて入れれば次のようになります。

    【標準語】 

    Sudah jatuh 「tetapi」 「masih」 ditimpa tangga.

    【ジャカルタ語】

    Sudah jatuh [kok][etap saja][musti] ketimpa tangga.

      これに関して、まだまだ未研究なので、もっと例文を集めないといけません。その関係で、この話は、ここまでにしておきます。

        

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  2. Tiada  gading yang   tak    retak.

      無い   象牙      ~しない  ひびが入った

    【訳】:ひびが入っていない象牙は無い。

    【意味】:完全な人間が無い。

    【使い方】

    友達が、他人の評価に気になりすぎて、落ち込んでいる時に、次のような言葉を言い聞かせると元気は、少し出ると思います。

     Sudahlah! omongan orang tidak usah dipikirkan! Kan tiada gading yang tak retak. Betul kan?

     まぁ、他人の戯言はあまり気にしなくてもいいんだよ。完全なものは、世の中には無いんだから、そうでしょう!。

    【解説】

     原始的な社会では、いや、現代社会においても、諺を使って、人を元気にすることはしばしばあります。諺というものは、変化しながらも、代々受け継がれていて、「心の薬」でもあります。その社会に合う「諺」の使い方をマスターすると、その社会のメンバーの人たちと「心の友」にはなれます。

     語呂合わせに過ぎませんが、私はいつも、授業では、

     menasihati(助言する)の覚え方は、me + nasi + hati。体は、ご飯nasi が必要だが、じゃ、心の種は?他ならぬ、nasi(ご飯)hati(心)ではないでしょうか。そうすると、このように覚えると、アドバイス=nasihatというコトバは、長く、記憶に留まっているそうです。

Posted by アルビー