sekolah と school と 学校 のこと
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英語のschool は、古代ギリシア語のschole(スコレー)に由来したそうです。scholeの意味は、『暇』です。
インドネシア語のsekolahも、このschoolの血を引きます。
元々、schoolというモノは、真面目 というよりも、自由を意味していますが、時代の流れと共に、いつの間にか、『義務』となって来ました。
さて、異なる視点から、schoolを見て行きましょう。
米国心理学者のマズローによると、人間の欲求は、五段階あり、『要求階層説』と呼ばれています。
- 生理的欲求
衣食住とセックス
- 安全欲求
戦争が無い。野生動物からの突然の攻撃が無い。
- 社会的欲求
グループに入りたい。グループの一員として認めてもらいたい。
- 自我の欲求
グループに入って、積んできた実績に応じて評価してもらいたい。
- 自己実現欲求
自分が決めたゴールへの達成度が自分で決める。
このように、1.と2.が達成して、やっと『暇』が出ます。そして、その『暇つぶし』にSchoolがあったのです。戦争のあった地域には、やはり、学校の設立は、難しいですね。なので、『暇つぶし』としての学校は、マズローの理論からしても矛盾せず、むしろ、裏付けられているのではないでしょうか。
しかし、
私たちは、よく『ゆとり教育は学力の低下の原因だ』と聞いているんですね。又、受験戦争もありますので、どこかこころの中で『学校って本当は何なの?』と疑問に思うことがあると思いますが、その答えは、いつまでもオブラートに包まれるかのように、曖昧になっています。
私は、本来のschoolの姿は、大学や義務教育に無いと思います。いいか悪いかを別として、大学は、大学なりに、責任があり、役割がありますが、本来のschoolではない。むしろ、schoolとは、これから大学などが実施しようといている『民間に開放する講座』だと思います。
従って、耳にしたことがあるかもしれませんが、『自由大学』型はこれからのschoolを担っているのではないでしょうか。
私は、インドネシアの大学はあまり知りません。名門バンドン工業大学に入っては、六ヶ月後、日本国文部省の奨学金を頂いて、来日したからです。しかし、私が、この8年間、見て来た大学のライフに対して、やはり、少し違和感を感じています。
それは、1年生~3年生まで頑張って部活やサークルに入り、4年生の時に、就職活動。両方とも、『暇』な部分がありません。勿論、私は、このような日本の大学のあり方を否定するわけではありませんが、ただ、私が探して来たschoolの姿が無いだけです。
知識が、脳に沈殿して、生きた知恵になるには、同じものをジックリと復習しては予習しないといけないので、『時間がかかります』。セカセカして、何かを得ようとしたら逆に、何一つ達成することが出来ない。
さーて、ゆっくりしようっと
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