便利な表現 と 教授法
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私の教室では、文法基礎と語彙は、大体、一年間、やります。そして、私が体験して来た日本語の学習に基づいて、表現の練習もします。表現の勉強は、文法の勉強と異なり、セットで、考えます。暗記が多いのですが、遊びや、テストなどを通して、学べば、楽です。
多くの大学では、表現を学ぶために、学生に、新聞を読ませますが、これは、講師の自己満足で終わることが多いそうです。なぜなら、情報量が多すぎて、関連付けがあまりなされていないようだからです。
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- 私が考えている理想な外国語の教え方とは、
- 基礎文法 を図式などで、教えて、叩き込む。そういうものだから、覚えるしかないが、疑問が出れば、学習者の母語の話をする。*******************
- 例:
- Saya mahasiswa. という文章に関して、『be動詞』のようなモノがあるかどうかの質問がよく出ていますが、これは、『ーは、-です。』に相当するイントネーション図で説明します。
- 例:
- レストランで、『mau pesan apa?(ご注文は?)』と聞かれて、『Saya nasi goreng(私はナシ・ゴレンです)』と答えることが出来ることに関して、『Saya nasi goreng』という文章には、『動詞がありませんが、』という疑問も少なからず。これについて、比較言語学が、モノをいうのです。
『では、例えば、レストランにいて、皆さんは、店員にご注文はいかがでしょうかと聞かれて、(私は、カレーです)と言った時に、私はカレーである という意味には、なりませんよね。日本語も、動詞が無くても大丈夫ので、インドネシア語にも、そのようなパターンもあり得るのです。』
このように、学習者の母語を使って、疑問を治めます。時には、疑問というものは、邪念です。間違っている意識から来るので、それを晴らすためには、理屈ではなく、自分の身近なコトから始まれば良いのです。
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- 語彙は、図と、ジェスチャーと歌で、復習で、教える。抽象的なコトは、文章で、他語との繋がりで、覚えさせることです。そして、初級・上級者に、googleの言語学的な活用法を教える。
ある語について、本当に大多数のインドネシア人が知っているかどうか、チェックする必要があります。オトナには、『実用性の低いものを暗記することが難しい。実用性の高い語を分かれば、脳は、自然に暗記します。(脳の報酬の原理)
- ある程度まで、学べば、セットで、言葉を身につけて、相手に言う練習をさせる。
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ただ、上記の三つの方法は、私でも、まだ駆使していません。
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今日の便利表現
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- Kesempatan itu tidak datang dua kali. kesempatan チャンス
itu というモノは
tidak not-
datang 来る
dua kali 二度・二回
チャンス というモノは、二度と来ない。
- Tiada gading yang tak retak. tiada 無い
gading 象牙
yang 連帯接続語
tak tidak
retak ひび割れる
ひびが入らない象牙がない。
転じて、
完璧な者は、この世には、いない。
- Buruk muka cermin dibelah. buruk 醜い
muka 顔
cermin 鏡
belah 割る
醜い顔を見たくなくて、鏡を割る。
転じて、
他人に、自分の非を背負わせる。
- Seperti katak dalam tempurung seperti ーのように
katak カエル
dalam 中
tempurung お碗
お椀の中のカエル
転じて、
何も知らない。
- Kesempatan itu tidak datang dua kali. kesempatan チャンス
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