中級表現 Yang namanya ……itu ~たるモノは、~と呼ばれるからには
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Yang namanya…… itu (paling tidak) harus ……
seharusnya …….
pasti ……
~たるモノは、~しなければならない。
~であるべき
という表現を学びました。では、どのように。使われるかを見て行きましょう。
- 例文:
- Yang namanya mahasiswa universitas Tokyo itu orangnya pasti pintar.
東大生たるモノは、優秀でなければ勤まらない。
東大生と呼ばれるからには、優秀でなければつとまらない。
- 【解説】
- 【Yang namanya~】の次に、社会的なステータスが着たり、一般名詞が着たりするのです。ただし、ituの後は、そのモノの資格、そのモノに呼ばれる条件などが来ます。
- このような表現は、形は、『平叙文』ですが、談話において、『相手に、こうしてほしい』という婉曲的な言い回しを表しています。
A:Kamu mahasiswa mana?
君、どこの大学の学生?
K:Universitas Tokyo.
東大です。
A:Wah,…pintar sekali!
わー、頭いい。
K:Ah, Bapak terlalu memuji. Hanya kebetulan saja.
あー、褒めすぎですよ。運が良かっただけですよ。
A:Yang namanya mahasiswa universitas Tokyo itu orangnya pasti pintar.
…(まァ、それほど、謙虚にしなくてもよろしい)
K:……..
- Tahu,ngga,sih! Yang namanya bola itu tidak ada yang tidak bulat.
知っています?玉と呼ばれるからには、丸くないのは、無いんですよ。
- 【解説】
- 例えば、パチンコ玉の製造工場に行って、ある玉は、どうやら、きちんと、丸くなくて、工場責任者は、部下に、言い回しを使って、やり直させる時に、上記のフレーズが使えるのです。
知っています?玉と呼ばれるからには、丸くなければ、玉ではないんですよ。–>だから、もう少し、研磨して、いい玉を作りなさいよ。
- 例えば、パチンコ玉の製造工場に行って、ある玉は、どうやら、きちんと、丸くなくて、工場責任者は、部下に、言い回しを使って、やり直させる時に、上記のフレーズが使えるのです。
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【一言】
私は、『お手洗いを綺麗に使って頂いてありがとうございました』という表現を見たときに、少しビックリしました。『何?まだ、使っていないのに、何で?】と躊躇ったことがあります。このような文は、構文として、【平常文】ですが、談話において、『綺麗に使ってほしい』という意図が隠されています。このような表現は、特に、ジャワやバリの(高階級)人に、よく使われるのです。
皆さんは、インドネシア語を勉強した時に、英語という感覚で、学び取ろうとする者がいるかもしれませんが、危険性があります。それは、英語のように、インドネシア語の表現もストレートだという勘違いですね。恋愛など、感情が入っているかかわりと成れば、ストレートで、言える人が少ないのです。
このフレーズは、どういう意味か当ててくださいね。
Yang namanya wanita itu kalau berpakaian harus sopan.
wanita :女性
kalau :~すれば(順応条件標識)
berpakaian:洋服を着る
harus :~しなければならない
sopan :礼儀正しい
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月曜会 と 木曜会 そして、INJの中級・上級コースは、このように、小学校の教科書を主に使って、『文法』だけではなく『表現』も勉強します。来年、勉強したい方がいらっしゃいましたら、是非、参加してみて下さい。(宣伝かよ)
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【質問A】
例文、ジェンダー的にマズイくないですか???
Kalau laki2 gimana sih???
【回答A】
えーと、
Yang namanya wanita itu, kalau berpakaian harus sopan
っていう文の意味を訳しますね。
『女性というモノはね、ちゃんとした洋服を着ないといけませんよ。』という意味です。意図は、『ちゃんとした洋服を着なさいよ』というのです。
前半の意味は、構文的な意味 と私が考えています。そして、後半の意味は、談話の目的で、生じた意味です。そのような意味で、とらわれなければ、完全に、私の説明不足が原因です。なぜなら、本当に、談話的な意味分析まで、理解して頂ければ、ジェンダーの問題に触らないはずです。ここで、言うsopanは、礼儀正しい というよりも、全体的な文の構成から、して、『ちゃんとする』という意味です。『ちゃんと』するというは、文化によって、その文化に合う『仕方』があるので、どのような、服装を着てほしいかは『特定』しません。
また、男性に言う場合に、自然な『インドネシア語』で言えば、yang namanya laki-laki(yang baik) itu, kalau berpakaian harus rapi.
構文的な意味は『いい男はですね、ちゃんとした服装を着ますよ』
談話的な意味は、『いい男はですね、ちゃんとした服装を着た方がいいですよ』<–実は、この文も、平叙文ですが、相手に、話し手が思う方に、行動を要求するんです。『ちゃんとした服装を着なさい』という意味です。
【質問B】
yang namanya Guru, itu harus baik hati.
先生たるものはやさしくなければならない。
yang namanya pacar saya, itu harus jd baik hati dan lucu.
私の恋人たるもの、優しくて面白くなければならない(笑)
この使い方であってますか?
【回答B】
pacar までは、いいですが、sayaは、必要ないです。後、pacar yang baik などの『一般的で、模範的な意味を有する名詞句』がいいと思います。
この表現は、実は、作るのが、難しいのです。インドネシア語がよく出来る日本人に試したんですけど、結構、間違ったりするんです。要するに、yang namanya の後は、限定的な名詞が来ないことですね。
一般論を用いて、相手に、説得したり、ある行動を要求したりするのが、ポイントなので、yang namanya の後は出来るだけ、『大きく・一般に』にした方がいいと思います。
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