中級【関係代名詞(tempat)(yang)について】
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- 私が座った椅子
- 私が英語を学んだ学校
- 彼が殺された現場
「上記の日本をインドネシア語にして下さい」と学生に言ったら、殆ど次の文章になります。
- kursi yang saya duduk
- sekolah yang saya belajar bahasa Inggris
- lokasi yang dia dibunuh
上記の三つの文章は、間違っています。文法的ではありません。
インドネシア人が上記の文章を直したら、次の文になります。
- kursi (tempat) saya duduk
- sekolah (tempat) saya belajar bahasa Inggris
- lokasi (tempat) dia dibunuh
さて、なぜ日本人の学生はこのような過ちを犯したのでしょうか。
恐らく[yang]への勘違いに原因があると思われます。
では、yang を使った文章と比較しましょう。
- orang yang [membaca buku]
本を読んでいる人
- buku yang [saya baca(受動態)]
私が読んだ本
orang(人)をさらにもっと詳しく説明して、『どういう人』という句を作る場合、まず、句の中に使用される動詞とその修飾語との関連を見ます。orang yang membaca buku の中では、orang は、明らかに、membaca(読む)の主体であるので、yang を使えます。
一方、5.の句の中に[saya baca]という受動態があり、修飾される語buku は、その動詞の『対象』であるので、yangも又使えます。
結論として、修飾される語と修飾する動詞の関係は、『主体』か『対象』であるなら、yangが使用します。
この時点で、私たちが強力なツールを得たので、tempat を使用する句をテストしましょう!
- kursi tempat saya duduk
修飾される語はkursi(椅子)
修飾動詞は、duduk(座る[自動詞])
duduk は、自動詞なので、対象が必要とせず、又、dudukの主体は、sayaであり、句の中で組み込まれているので、kursiは、dudukの『対象』でも『主体』でもありません。従って、少なくとも現時点では、yang が使えないのです。
では、tempatを使う決定的な理由は、どこにあるのでしょうか。
それは、意味的に解決するしかないようですね。
tempatは、元々『場所』という意味なので、修飾される語は、句の中の動詞が行える場であれば、基本的に tempat は使えます。又、形式的に、
- kursi tempat [saya duduk]
- sekolah tempat [saya belajar bahasa Inggris]
- lokasi tempat [dia dibunuh]
tempatの後の句には、主語が存在することです。
yangの後は、主語が存在しません。 - orang yang[membaca]
- buku yang[saya baca(受動態動詞)]
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