cinta『part2』 cinta vs sayang
好きな人に、どっち言われたいのか?
その前に、スペイン語を参考にして、考えたいと思います。
スペイン語では、
- 君のことが好きだよ。
を言うには、
- Te qiero『て きえろ』
(te= 君、quierer–>quiero=私が愛する)
だそうです。
意味は、直訳すると、
- 君がほしい。 君を望む。
スペイン人は、情熱的な国民だと言われて、そして、愛情に関して、basa-basi『社交辞令』無し、単刀直入な表現が多い。
欲しがられる欲
keinginan untuk diingini
人間には、どうも困っている性格があります。
それは、
- モノを欲しがっている。
menginginkan sesuatu
だけではなく、
- 自分を欲しがってほしい。
ingin diingini seseorang
です。
しかし、これは、良くないモノではないようです。お互いに、欲しがられていることをしって、もっともっと相手のことを欲しがる。そして、相手も同じようなコトを感じて、相互的に、循環を作って、究極の『愛欲』が築き上げるのです。
関係
hubungan
『愛欲』は、体の関係 と結んで、新しい命と繋がります。そして、その命に対して、私のことをほしがっていなくても、あなたのことを欲しがっているよ!という情が生じ、それは、sayangの一種です。その瞬間は、人が親になります。
体の関係が終われば、モノ分かる人なら、『もう私のコトを欲しがらなくてもいいよ。許してあげる!。それで、相手に、安心感を与える。この瞬間に、sayangも自然に、出てくるのです。
モテル
…?(インドネシア語は何だろう)
しかし、相手を欲しがるコトは、『自分の経験・住んでいる文化圏』などによって影響されます。また、個人差もあります。確かに、『モテル』人は、関係に結びやすいのですが、これは、マスメディアや教育などの影響です。ある意味では、『基準』が出来ているのです。
しかし、違う文化圏に行けば、もしかしたら、その『基準』が異なるかもしれないので、cintaが欲しければ、まず
- 諦めないこと。
- 常に勉強すること。
- 様々な文化を理解すること。そして、身を投げかける覚悟があること。
cintaは、疲れる?
cintaは、疲れる!。確かに、相手に、欲しがられるのが、嬉しいことですが、しかし、何となくその分か、それ以上、相手を欲しがらなければならないのです。ですから、時々、cintaは、疲れるのです。
体の調子が良くない時に、食欲が出ませんよね!?『相手を強く欲しがる』ことも時々出来なくて、そして、何となく罪悪感のようなものを感じ始めるのです。結局、いつの間にか、自然に『出る』本能なのに、『harus(-しなければならない)』が出てきて、大変!。
sayangは、癒し!
これは、言うまでも無く事実なのです。sayangは、見返りが必要無い感情なので、『sayang』と言われたら、相手をその分、もしくはそれ以上返さなければならない『義務』がありません。ですから、気持ちがいい。
sayang と cintaを両方、駆使する
sayang も cintaも両方大切。sayangだけの人は、仏です。が、やはり、私たちは人間なので、cintaも必要。
cintaだけの人は、畜生ですね。常にイライラ。しかし、やはり、私たちは、人間なので、sayangも必要。
seni kehidupan
命のアート
その組み合わせは、方程式などありません。アートです。
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