cinta『愛』sayang『愛』
『Aku suka kamu.』って言われたけど、インドネシア語が全然分からないから、インドネシア語ー英語の辞書で調べたら、『suka(スーカ)』は、likeだから、きっとこの人は、『愛』ではなく、『like・好意』の感情を持っているだけなのかなぁと思っている方が少なくないようです。
愛情表現は、人によって、言い方が代わりますが、『私の語感』では、次のようになります。統計的なデータがありませんが、少なくとも6割りの人は、インドネシア人なら、大体、賛成してくれると思います。
- Aku suka kamu.
僕は君の事が好き。
- 解説:
- この文章は、告白の意図があります。『aku cinta kamu』は、最初の段階では、使われないのが普通です。日本語で、『愛しています』って言われたら、どう思いますか?何か慣れ慣れしい?と思いませんか。やはり、最初のころはモヤモヤとしている好意のようなそうではないような熱い思いを相手に打ち明けた時に、『愛する』という表現が適切ではありませんが、文章の場合、照れても見えないので、cintaを使うこともあります。
照れる ということは、ある意味、『恥ずかしい』と似ているような感情です。だとすれば、『恥ずかしい』というモノは、何か『イケナイことをやったなぁ』や『申し訳無いことをしたなぁ』などの時に出やすいので、愛の告白の時に、生じる『照れる』感じは、
『ちょっと、欲張りだけど、もし可能であれば、これから、ただのお友達ではなく、アナタとそれ以上の関係を持ちたい』から引き起こされるのではないかと。
- Aku cinta kamu.
愛しているよ。
- 解説:
- ある程度、お互いの信頼関係が築いて、初めて、言えるコトバです。しかし、cintaは、『報われなければなりません』つまり『相手も自分のことをcintaしなければならない』ので、少し、マイナスで言えば、『愛着』プラスで言えば『コミット(約束)』の要素が入っています。
従って、相手が浮気したら、このcintaは、一気に『benci嫌い』という感情になりやすいのです。
インドネシア語の歌では
benci tapi rindu や cinta dan benci bercampur.
嫌いだけど会いたい 愛と嫌な気持ちが混ざる
という文がよく出ています。
- Aku sayang kamu.
君は、運命の人だ。(から、どんなことがあろうとも、君のコトは、絶対見捨てない)
- 解説:
- sayangは、究極的な『愛』です。cintaは、『コミット』『-してくれる見返りを望む』ので、愛着に近く、燃えるような激しい感情に対して、sayangは、『相手をただ好きになってしょうがなく、相手に見返りを望まなく、優しい』。多くの場合は、それを無くせば、はじめて感じることが出来る感情。
夫婦の場合、長年、付き合ってくれるpartner(相棒)に対して、言うのが素敵。
==============================
変な話ですが、体の関係の前に、cintaを言うと、火が燃えやすく、それが済んだら、『sayang』を言えば、絆が強くなります。♪(∂∇∂)/
コトバは、単なる音ですが、私たちの意図や思考にも及びます。『愛』は確かに感じるモノですが、それを少し反省しようとする時に、『正語』も重要です。
最近のコメント